しろは阪神タイガースの田中秀太内野手をずっとずっと応援しています。
そんな秀太選手の基本データをまとめてみました。
秀太選手とは
本名:田中秀太(たなか・しゅうた)
所属:阪神タイガース
投打:右投左打
入団年:1994年ドラフト3位
(ちなみに、ドラフト1位は山村宏樹投手,以下2位:北川博敏捕手,4位:川尻哲郎投手,5位:矢野正之投手)
ポジション:遊撃・二塁・三塁たまに右翼
登録名:田中秀太(1995〜2002)、秀太(2003〜)
※田中聡選手の入団にともない「田中」姓がかぶるということで登録名を変更。
2002年オフの契約更改の際に申し入れ、受理されました。
背番号:入団時「60」→2002年から「00」
生年月日:1977年2月23日
血液型:AB型
身長:179センチ
体重:77キロ
※身長・体重は2005年の阪神タイガース公式サイト選手名鑑より。
経歴:池子小−南曽根中−熊本工−阪神
※小学校5年生のときに野球を始めたそうです。6年生の秋から中学2年の1学期までは逗子シニアに在籍し、卒団したのは小倉シニアだそうです。
(参考サイト:財団法人 全日本リトル野球協会
※熊本工では1年夏からレギュラーだったとか。3年の時、春の選抜に出場するも初戦敗退。
※1994年の日本・キューバ選手権では日本代表入り。
※公式サイトの選手名鑑では、出身地は「熊本県」になっていますが、他の文献では「福岡県北九州市」となっていましたし、また生まれたのは「神奈川県」だとか。どれが本当?
プライベート
結婚
2001年1月24日のスポーツ新聞に「秀太がイブに入籍していた」という記事が載りました。
さらに記事には、秀太の「もう1人じゃないですから。小遣いが上がるように頑張らないと。」というコメントも載っていました。
そういうわけで、2000年12月24日のクリスマスイブに入籍していたようです。3年の交際を経ての結婚ということで、秀太デレデレみたいでした。ちなみに奥さんの名前は、睦子サン。秀太のことをどうぞよろしく!
パパ秀太
2001年7月24日に第一子、長女(千愛ちゃん)誕生。
2003年3月2日に第二子、長男(太晴くん)誕生。
そのほか
秀太選手は子供の頃、ピアノを習っていたらしいです。
秀太選手の成績など
1995年
プロ入り初出場はこの年の9月21日。
3試合に出場。打席は2回ありましたがヒットなし、盗塁なし、守備につくこともなし。
1996年
1軍試合出場はなし。
1997年
1試合のみ出場。打席には立ちませんでした。
1998年
1軍試合出場なし。
1999年
秀太飛躍の年!
開幕一軍入りを果たし、初ヒット、初スタメン、初打点も記録します。
5月2日には、プロ入り初打点となるサヨナラヒットをはなち、お立ち台にも立ちました。
他にもサヨナラ勝利をおさめた試合で決勝のホームを踏んだり、10月6日の甲子園最終戦では秀太が押し出しの四球を選びサヨナラ勝利を決めました。
116試合に出場。263打席220打数54安打、打率は.241。
犠打が22ありました。打点17、盗塁15。しかしこの頃はエラーも多く8失策です。
2000年
113試合に出場。355打席307打数77安打、打率は.251。打点17、盗塁5。
この年には初ホームランを打ちました。
しかしエラーは更に増え14失策。ショートを守ることが多かった秀太、確かにショートは守備機会も多いのですが・・・トホホ。
2001年
86試合に出場。105打席89打数19安打、打率は.213。打点6、盗塁1。
失策は5に激減です。沖原選手や藤本選手の活躍で、ショート以外にもセカンドを守る機会が増え、また「代走」として登場し生還することが多くなりました。
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2002年
背番号が「00」になり、81試合に出場。184打席155打数38安打、打率は.245。打点5、盗塁8。
三塁やときには外野も守り、失策は4。守備にもかなり確実性が出てきました。
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2003年
登録名が「秀太」に。
チームは18年ぶりのリーグ優勝を飾り、もちろん歓喜の輪の中に秀太の姿もありました。
102試合に出場。75打席69打数12安打、打率は.174。打点5、盗塁8。
大事な場面での代走出場、そして守備固めでの出場が増えました。しかし打率が低いなぁ・・・。
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2004年
開幕一軍メンバーに入れず。6月にはスポーツ紙に「秀太トレード」の見出しが。
8月アテネ五輪の代表メンバーになった藤本選手に代わり、ようやく一軍昇格。
8月21日の延長戦ではサヨナラホームランを打ちお立ち台に!しかしこのシーズンの目立った活躍はこれくらいで、結局27試合に出場し、8打数1安打。1本塁打、1打点、盗塁1で打率は.125と下がるいっぽうです・・・
オフには契約更改で保留した際に「トレード志願」とスポーツ紙に書かれてしまいました。
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2005年
開幕一軍。交流戦を過ぎた頃、気がつけば秀太の姿は一軍になく、8月2日に再び一軍昇格しました。
シーズンの成績を数字で見ると46試合に出場し、5打数0安打、0打点。そして盗塁も0、となんだか寂しい結果でした。
やはり代走および守備固めでの出場が主でしたが、このシーズンは盗塁死もあり本塁生還率も悪かった気が。
それでも送りバントはきっちり決めていましたし、ファインプレーも魅せました。しかし問題は、やはり打撃のほうだと思います。優勝の輪の中に秀太の姿があったことがせめてもの救いでしょうか。
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